2020年の振り返り-「自信」への理解-

今日は2021年の2月に入った頃なんですけど、すごくいまさら去年のことを振り返りたい気分になったので、記録としてブログに残そうと思います。

物好きな方だけ眺めていってください。

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2020年は人類の歴史的にも間違いなく波乱の年でした。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う影響やその陰で猛威を振るう蝗害や自然災害。

「なんてひどい年なんだ」と言いたい気持ちがないわけではないし、失われた命に心からご冥福をお祈り申し上げます。ただ、この様々な災害とこれからぼくら人類が直面していく災害は、少なからず人類が発展をする際に犠牲にしてきたものの代償であることも忘れてはいけないと考えています。

一説ではありますが、ここ数十年の感染症は人類が発展のために無秩序に自然を開拓したことにより人間社会と野生動物の距離が近くなったことによる影響があると示されています。地球の温暖化やプラスチック問題etcこれまでリターンを得るために後回しにされてきたリスクが段々と顕在化してきている事実は、ひとりの人間として認めていきたいところです。

もちろん人為的に発生させる感染症や生物兵器と呼ばれる物、遺伝子操作技術なども日々進歩していて、その高度な技術や文明がいずれもたらすリスクに対しても理解を深めていきたいです。

この一年で自分はなにができたのか。

以前2019年の振り返りを書いたときに、自分は生まれて初めて自分の中の満足ラインを超えた年だと書きましたが、おかげさまで2020年も継続して満足ラインは超えることができました。加えて2020年の課題であった身体を鍛え整えることも多少前進しました。

  

3月に書店を閉めてから夏まではだいぶ時間と気持ちに余裕ができたことに加えて感染症の影響で身動きがとれなくなったので、家業の手伝いというか、整理のようなことをしていました。

いずれ受け継がなくてはいけないものがあったりもするのですが、以前どこかで書いたように自分が育った環境にいい思い出が少ないのでずっとなあなあにしていました。去年は良くも悪くも世界中が一旦立ち止まったこともあり、親戚なども交えてちゃんと身内の事務的な整理をすることができました。

 

ぼくはだいぶ一般的とは違う道を選ぶことが多いので、親族との関係性ってすごく気を使ったりします。

結局のところ、人は社会的に認められるような結果を出せば、それまでがどうであれ認めてくれたりする傾向のあるものです。ぼくも人間共同体の一部なので結果で示すことを避けたりはしないです。でもその結果が出るまでに多かれ少なかれ時間はかかります。

高校も辞めて大学も辞めて、なんか商売を始めてはいるものの、まだまだ未熟極まりない。傍から見ればただのふらつき。

「あいつはなにをしてるんだ」ってかんじです。ありがたいことにぼくの近しい親族に人の挑戦を笑うような人は見受けないのかなと思うのですが、自分の考えた自分の理想へ至るための仮説と試行錯誤に横槍を入れられるのも説明を求められるのも、自分に自信を持てなかった10代では御免被りたいものでした。いまはもう自己肯定感も人並みになり、自分で生計を立てられるようになり、伝え方というのもましになり、それなりに説明はできるんですけど。

それゆえ高校を辞めてからはそこまで交流もなかったのですが、なんというか、去年はじめてちゃんと「自分」をもって関われたような気持ちで、嬉しかったです。

その経験を経て、去年は「自信」について考える機会がけっこうありました。

  

  

「自信」

世間で自信と呼称されているものがこれまでよくわからなかったし、いまもあまりわかってはいないのかもしれません。

そもそも自信という言葉は”自分を信じる”という意味合いですが、「信じるってなにさ(ツン)」みたいなひねくれた中学生みたいな葛藤は10代で終わりにしたので、ウィキペディア的に”思い込んで疑わないこと”とします。

要は対象に対して、そのほかの可能性を排除して一点賭けする行為ってことになります。言い方を変えれば博打。

人間関係で言うと、「裏切られた!」みたいな展開は対象人物が永続的に自分に対してメリット足りうる存在であることに賭けて、リスクヘッジをしていなかったということ。そもそも色んなパターンを想定しておかないと対処が遅れてしまうので信じるって行為には基本的にメリットが少ない。

当たればリターンは大きいけど外れたときのリスクは大きいわけです。だから自分にとって本当に大切な人物には、「信じる」というより、「その人がどうなっても変わらない敬意を表する」と決めて責任を自分に置いておく方が生きやすいだろうなと思います。

  

自信というのは一般的に”自分の価値が高いものであることを思い込んで疑わない”こと。となるとその価値を高く見るにせよ低く見るにせよ判断材料になるものが必要になります。

でもぼくはその判断以前に、生物としての存在の承認っていうのが必須なんだと考えました。「あなたはただあなたらしくここにいていいんですよ」って他者から表現してもらってそれを自覚すること。自覚するまでがワンセットです

そんなもの意識したことないよって人はたぶん物心ついたときから持っているのでラッキーですが、ぼくを含め意外とその自覚がないまま大人になる人っていうのがいます。

その存在の承認っていうのがないとなにが問題かというと、多々ありますが今回の自信にまつわるところでいうと、結果をただの結果として見つめることができないってこと。結果に余計な自己の感情や勝手な理屈を入れてしまうこと。

それは精神的土台ができていないから。例えばなにかうまくいかないとき、結果を直視してしまえば本当に自分の存在意義がなくなってしまうのが怖くて、自分が弱いからとか努力が足りなかったとかいう論理性の欠片もない分析結果を導き出したりと、成功へのアプローチとして重要な結果の分析に変なバイアスがかかってしまいます。これけっこう思い当たる方がいるんじゃないかと思います。

下手に教育熱心な家庭とかで育つと露骨に出てくるかもしれません。ある物事で結果を出せないなら自分に価値がないと感じてしまうのは幼い頃に存在の承認がなされていなかったから。教え育むの根本をないがしろにしていたら強い人間は育たないのに。

これは小説や漫画で割と出てくるキャラ設定で、ポテンシャルは高いし十分強いのに土台がボロボロのキャラ。主人公のライバルポジションによくいる。そういうキャラは誰かに存在の承認をされてからすごく強くなる。某有名なジャンプのマンガとか。

自分が20歳そこらで存在が承認されるような体験をしてみて、物語の中のキャラクターたちが晴れた表情をしていたのがものすごく理解できるようになりました。視界を覆っていたモヤがとれたような清々しさがありました。

そして目的や社会に対する自分の位置、物事の結果を感情を入れずに直視できるようになると落ち着いて分析や仮説を立てることができました。

「あー、成果を上げている人の感覚がやっと自分にも理解できるようになった」とかなり嬉しかったのを覚えています。

そしたら書店業以外の仕事は着実に成果が出るようになったし、勝負どころであまりテンパらなくなったし、すごいなって思います。存在の承認は他者が必要なので助けてくれた人たちには感謝してやまないです。

  

本屋らしく本をからめてみるけれど、いわゆる自己啓発本というのはこの存在の承認をないがしろにして書かれているものが95%を占めていると勝手に思っています。

どんなに「こうすれば成功する!」みたいなことを言っていてもそれは土台の上の手段をゴリゴリに話しているパターンが多いのかなって(全否定しているわけじゃないです)。成功と幸福も同義ではないし。

もちろん大事なことが書かれているし、本質的なものだってある。ただ自己啓発書は男性が著者の割合が多くて、基本的に男性は感情とか心理背景とかそういう繊細で具体性に欠けるものに疎い傾向があります(これは男女差別ではなくて生物的差異の考察)。

それはもう人間の身体のつくりと歴史的に仕方のないものだろうし、女性と男性のスピリチュアル分野への関心の割合を見ても違いがあるし、むしろ感情の変化に敏感だったり配慮のできる男性の価値が顕在化してきたのはここ数十年のことですし。

何千年と命を奪う役目はおもに男性のものでそんな中で感受性に優れてなんていたらやっていけなかったんだと個人的に仮説立てています。現代は直接他の生物や人の命を奪わなくても生きていけるからHSP(ぼくもそう)やADHDっていう病気も顕在化してきたのだと思う。

今が過去に比べて良いか悪いかは判断できないし発展による不幸は消えることはなくても、笑顔の総量は増えているんじゃないかなって二十年くらいしか生きていないぼくは感じます。わからなかったことをわかるようにして、間違っていたことを正して、乱雑だったものを洗練させて、日々人間社会は進歩していることは事実です

精神的土台のできていない人が自己啓発書を読んだとしても成果は出にくいと想像しますが、そういう本を出すのは一直線にエネルギッシュな方が多いんじゃないかなって勝手に思うので、あまり触れてくれな傾向にあります。

それはもったいないからぼくがこうして成果がでないパターンの理由を書きます。自分が自己を啓発しても、そもそも先に啓発するのは精神的土台であってその後のプロセスではなかったタイプだから。

そして、人の精神の土台となる他者による存在の承認が完了すると数ある自己啓発の中の一部は自分にとってずいぶん有意義なものとなるし、自信というものが少しわかるようになりました。

 

それはこれまで自分がなにをしてきたかっていうのが大きな要因になり得るのだと思います。

きっと優れた容姿とか親の財力とかそういったものは自信にはつながりにくくて(いくつかの要素を乗り越えて自分のプラスにはできるが)。

優勝とかもそれほど自信にはつながらないのだと思います。過去の栄光は時として、というか勝ち続けるときには邪魔になるので。

じゃあなにが自信を構成しているのか考えたら、なんてことのない毎日のランニングとか風呂上りのストレッチ、部屋の掃除、仕事前のルーティンに昨日の反省と明日の準備、いつもの反復練習。

そんな当たり前の習慣を続けてきたっていう事実が「自信」と称されるものを構成しているのかもしれないと、心のモヤが晴れて感じました。

以前読んだ本に毎日の習慣が自分をつくるって書いていたけど、確かにそうかもしれません。

継続は力なりとか、遠きに行くには必ず近きよりすとか、人事をつくして天命を待つとか、いつの時代も重要度の高い部分は変わりにくいものですね。

  

  

さいごに

さて、そんなわけでトドブックスは無期限休業状態へと移行しておりますが、わたくし村松はおかげさまで日々前進しております。一歩進んで半歩下がったり、ときどきぬかるみに足を取られたりしますが、なんとか生きています。

またお会いしたい方がたくさんいますが、いまはこの環境下で自分ができることを坦々とこなしていこうと思います。さいごまで読んでくださった物好きなみなさまもどうかお身体に気をつけて2021年をお過ごしください。

  

  

2021.02.05 トドブックス 村松徳馬