どうして本屋なんですか

本屋がどんどん減っていくこんな時代に20歳そこらのちんちくりんが本屋をしていますますと言ったら、一番聞かれることはやはり「どうして本屋なんですか」です。

結論だけを言ってしまうと”自分が快適な環境を目指しながら、自分が魅力的に感じる人たちと出会っていくためにまずは本屋をはじめた“というかんじです。

いつも、話すと長くなってしまうので全部は話せません。話しも上手くないですし。

でもブログみたいなところだったら伝えられるかなと思って、書いてみることにしました。少々長いですがお付き合いいただけると嬉しいです。


Scene1

ぼくは16歳のときに高校を辞めてから留学だったり、日本一周だったり、開業だったりやってやろうと思ったことは可能な限りしてきました。それは「仮説を立ててそれを検証する」ということの繰り返しだったりします。

学校を辞めたくなったのは、どうして学校に通って勉強しているのかがわからなくなってしまったから。周りの友達が勉強を楽しそうだと思ってない様子が印象的で、「だったらなんでそんなことしてるんだろう」と疑問でした。


先生に聞いても「将来のため」みたいなニュアンスの言葉しか返ってこないし、「え、もしかしてこのままの日々を続けていたら人生ってこんなかんじなの。もっとなんか面白いものだと思ってたのに。」と物凄く恐くなりました。

そのときは将来のことなんてよくわからないし、どうしたら毎日を楽しいと思えるのかもわかりませんでした。

でも、”自分でどうにかしないと誰も助けてなんてくれない”と当時はかなり独りよがりで意固地になっていたので、ひとまず環境を変えようと思って海外大学に飛び級する予定で学校を辞めました。

簡単に言うと、社会への反抗期と決意表明でした。

Scene2

高校生のときは「もしかすると日本がつまらないのではないか」と考えていて、それは高校一年のときに留学したカナダの大学の雰囲気がすごい自由で開けていて、学生も積極的に勉強していたりで魅力的に見えたからだと思います。

それで海外に行こうとしていました。けれど、学校を辞めた後に行ったフィリピンで”意外と自分は日本のことを知らないこと”に気づいてまずは日本を知ることにしました。

フィリピンから帰ってすぐに日本一周をして、色んな日本を見て周りました。

そこから気づいたのは、日本がつまらないわけではないこと。自分がグローバルとかITみたいな言葉にあてられていたこと、自分の考えを発信したり自分から行動したりして出会った人はわりかし価値観が近いことです。

ここらへんで「なんか嫌だ、つまらない」から「どうしてつまらないのだろうか、そうか自分にとって幸せな条件がそろっていれば自分は幸せなんだな。じゃあそもそも自分はなにをしたいのだろうか?」と考えるように。

旅をしながら、「自分はなにをしたいのか」みたいないわゆる自分探しをしつつ、自分がなにをするにせよ若いうちに感性と教養はやしなっておく必要があると考えて、色んな景色を見て人と話して、読書をする。芸術に触れる、いいモノに触れるということを続けました。

それで、高校で留学したカナダで一番印象的だったのがたまたま入ったファストフード店でできたてアツアツのポテトがミスだったのか、勢いよくゴミ箱にバーンッと捨てられる光景でした。商売なのはわかるけど、ぼくには衝撃的で。ただ「よくわかんないけど、それって違うんじゃない?なんか、生物として?」と思いました。

だから”もしかしたらぼくはそういった社会問題になっている物事を解決したいのではないか”と仮説を立てました。

ブログとかでそんなことを書いて発信してみたり、食品ロスやごみ問題の勉強をしたり、実際に問題を解決しようとしたりしました。

そこから気づいたのが、まずは”社会問題を解決することよりも自分が愛されたいという欲求が強い”ことでした。

“自分が満足する生活を送れていなのに、自分のやっていることが非難されているのにそれでもなお社会問題の解決をしたいのか?”と考えたときに「社会問題の解決なんて微塵も考える余裕ないわ、そんなことより美味しいごはんを好きな人と食べて、温泉に入って、天気のいい日には日向ぼっことかできる生活がいいわ!」と純粋に思いました。

だから、まず第一に自分の満足いく生活レベルの維持。次に自分が好きな人たちと過ごす時間を持つことと、好奇心の達成。社会問題とかはそのあとだなぁと気付かされました。


Scene3

じゃあまず「自分の満足いく生活はどんなものか」と考えたときに”旅をしながら場所にとらわれずに自分で仕事をする生活がしたいかも”と思ってそれをしようと試行錯誤する段階にいきました(いま思うとその考えは半分逃げでした)。

なにか自分の中に使える武器はないかと考えたときに、本ならけっこうな時間触れてきたし、自分の世界を広げてくれたものだから本でなにかしてみるかと思いました。

小売りという形態も最初にはじめるビジネスとして学べることが特に多いし、初期投資もさほどはかからないから理にかなってるし。
人と関わることも責任感を持つことも苦手だったので、さっさとその苦手意識を潰すという面でも有意義でした。

それで本まわりでなにかしようと試みるんですけど、まあ利益率が厳しかったりでつまづいたのとなんにもスキルもない自分が仕事をつくることの難しさをまじまじと感じて、プライベートでも色々上手くいかないことが重なって「自分ってこんなにクソだったんだな」と立ち直れない状態になりました

半年くらい鬱になって実家に帰って通院しながら過ごしていました。

その間に「現象には訳があるはず」と考えて、自分がどうして鬱になったのか自己理解を試みました。

そうして見えてきたのが、幼少期の家庭環境が性格に及ぼしている影響でした。

Scene4 -past-

うちは2歳のときに両親が離婚していて、ぼくは母親の方についていったんですけどすぐに母が病気になって動けない状態になってしまったので、母方の祖父母のところに養子になりました。

そこからずっと祖父母のところで育って、実の母親はぼくが14歳のときに亡くなりました。中学を卒業するまでは自分の育った環境が普通と違うことが嫌で嫌で仕方ありませんでした。

悪意のない、純粋に可哀そうだと思っている瞳を向けられることがどれだけ不愉快なのかを知りました。だから、冷たいって言われるんですけどぼくは誰のことも、どんな生物のことも可哀そうと思えなくなりました。それが失礼なことだってわかってしまったから、自分が惨めだったと思いたくなかったから。

それでも不良になったり、非行に走ったりすることはなかったんですけど、それはおじいちゃんとおばあちゃんを悲しませるわけにはいかないと心のどこかで遠慮していたからなのかなって、いまでは思います。

物心つく前から親元を離れて暮らしてきたことが、自分の遠慮しがちな性格を構成していたことを知りました。

あとは満足に愛されたという実感がなかったから、異様に打たれ弱くて、人に嫌われることが怖くて、誰かの期待に強く応えようとしたり、愛されたいという欲求が強いことも知りました。

一説ですが、”鬱になるというのは自己防衛本能のひとつで何もできない自分でも愛してほしいという想いが表面化したもの”というのがあって、それがすごく腑に落ちています。

ぼくは学校を辞めたときも、辞めたあとも、ずっと心のどこかで焦っていたのですが、それは育った環境の影響もあり自分に自信がなかったからと母親の死に顔を心の多感な時期に見ていたから「人はけっこうあっさり死ぬ」という不安感からきていたものでした。

鬱にまでなってようやく、自分のことが少しわかりました。

Scene5

そうして自分の根幹みたいなものが少しわかってきたときに「じゃあこれまでのぼくの行動は全部、愛されたかったり自分の欲求不満を埋めるためのものだったのか。だったら自分は結局何をしたいんだろう?」とこれまで自分の選択が意味のないものに感じる瞬間がきました。

虚無感に押しつぶされて消えてしまいそうでした。

「社会問題を解決したかったのは、自分が認めてほしかったからなのか、旅をしながら生きたいのは人と深くかかわるのを避けたいからなのか。自分っていったいなにをやってきたんだろう、必死に自分にないものを埋めようとして、嫌なものから逃げて。」

もう憂鬱街道まっしぐらな日々を送っていたのですが、あるときちょっとその憂鬱気分が好転するときがきました。

毎日なにもしたくないしすることがなくて、ついにギャルゲーに手を出そうとしたんです。でもギャルゲーのインストールボタンをクリックしようとしたときに「オレこんな情報量の少ない存在にモテても嬉しくないし、そもそも錯覚としょうもない駆け引きが大半を占める程度の色恋に魅力は感じない。自分と同じ次元に生きてる綺麗なお姉さんに好かれたい。一緒に美味しいご飯が食べたい。」と思いまして。

「でもいまの状態の自分だとモテない以前に、家から出てない。ある日突然空から美人な方が降ってくる確率と、自分から空から降ってくるレベルの素敵な方を探しに行って出会う確率だと、後者の方がかなり高いな。」と考えたら自分の中で、鬱のまま引きこもるという選択肢は消えました。

呆れるほどシンプルだったんですよね。なにをしたいのかなんてわからないけど、ぼくはとりあえず明日の自分を今日の自分よりかっこよくしよう。その先にきっとなにかあるから、と。

そこから気づいた自分が一貫して追い求めてきたものって、自分が居心地のいい空間に身をおくことでした。不快を避けて快楽を求める生物の基本的な欲求です。

ただぼくの中にずっとある想いがあって「会いたい人たちがいて見たい景色がある」という抽象的なものなんですけど。

学校を辞めてからの3年で確信したことが「類は友を呼ぶ」ということでした。

この3年で出会った人は1000人くらい。ずっと仲いい人もいればそうでない人もいるのですが、自分の考えが変わったりやっていることが変わったりすると出会う人もおのずと変わることに気が付きました。

そして高校のときみたいに周りに不満があるということは、自分が思っている自分を外に表現できていないからなのかもしれないという発見をしました。自分が思っている自分と、周りに見えている自分にズレがあるということ。

「類は友を呼ぶ」は自分の中で正しいと判断した、じゃあ周りに不満があるということは、友を呼ぶ自分に問題がある

自分が「かっこいいな、こんな人たちと仲良くなって同じところに立って、同じ景色を見たいな」と思う人たちがなんとなくいるんですけど、じゃあそういう人たちと出会って仲良くなるにはどうしたらいいのかというと、自分の力の底上げをする、自分が本当に思っていることを表現するということが必要だと考えました。

いまはこの仮説の検証をしているわけです。

日本を一周して一番気に入った熱海で、自分が考えていることを本屋を使って表現する。このときに出会う人は自分と価値観が近い人なのではないか

そして、もう大体この仮説も正しいと思っていて、熱海で本屋をすると言って出会った人たちは気が合う人たちでした。もちろん割合としては多いわけではないのですが。

だからこのまま自分の価値観とかを表現し続けていけば、おのずと自分が居心地のいい場所への歩みを進めていけます。意識するのは自分と目の前のことに誠実でいつつ、未来も見つめることでしょうか。

At the end

まとめると、自分が快適な環境を目指しながら、自分が魅力的に感じる人たちと出会っていくためにまずは本屋をはじめたということです。その過程ですこしでも誰かの力になれるように力をつけていきたいです、

こんなかんじですので、いまは本屋で、本を使ってできることを日々やっていきます。長々とお付き合いいただきありがとうございました。