恥を上塗りし続けることしか出来ない

夏が近くなるたびに、移りゆく匂いにつられて昔のほろ苦い思い出が呼び起こされる。嫌だとも思わないけど良いとも思えない。ただ「季節が巡る」という現象は、歳を重ねるたびに愛おしく感じるようになった。

先日梅雨入りが発表されて、今年も半分過ぎたという実感が湧いた。

たまにこうして言葉を残しておくことは何年か経って過去を振り返るときにデータが増えて有意義なので大事なことだと思う。

   

いつからかひと月前の自分の無能さにびっくりして過ごすことが続いている。月の反省をするときに精神面でも技術面でも「なんで自分はあんなバカみたいなことしてたんだろう」と情けなく、というよりは唖然とするのだが、それも五年以上続いていると、次第に安心感へと変化してきた。

始めから全知全能であればそれに越したことはないが、ぼくはそうではないから、せめて確実に着実に理想に対しての最低基準以上、昨日の自分よりも成長していなければいけない。

そう思うと他人に合わせて生きていた頃の自分は十年前のAIよりも遥かに貧弱な頭をしていた。いまなら分かるけど、仕事もしくは勉学や部活動などにおいての技術面での成長はもちろんのこと、人間的、人生経験値的面での成長を続けていかなければ、将来的に悲惨なことになってしまう。

  

去年から以前と比較してかなりの量のニュースに目を通すようになって、当然ながら政治にも関心が強く向くようになった。

こどもの頃から日本の政治と教育は地獄絵図だと思っていたけど、感染症の影響で国全体に「やっぱり相当ひどいよね」って強く顕在化して来たのを感じる。

すごく情けない気持ちになる。ぼくは日本の政治と教育以外のものが大好きだからまだ日本に住んでるけど、海外に移住することも視野に入れ始めるくらいには厳しい現状だと考えている。でも日本のポテンシャルは世界でもトップレベルだとも考えているから、そこさえ改善すれば世界有数のかっこいい国になることを確信出来る。ただその二つが絶望的かつ影響力が大きいから、改善難易度が高いのだけど。

やっぱり自分は日本の文化芸術や土地柄が好きだし、日本の娯楽コンテンツより魅力的なコンテンツはいまのところ知らないから、つべこべ言わず実力をつけて余裕ができたら変革の一助になりたいと思う。批判するだけはめんどくさい。

  

「成長」の話に戻るけど、昨今の政治界隈を見てて感じるのは、

アホな男子小学生がそれなりに頭の出来が良かったせいで、大きな失敗も出来ず叱られたり挫折したりせず、自分の弱さとも向き合えず、立場の異なる存在への配慮や、畏怖する精神を持てずに未熟なまま大人になってしまったパターンの人が多そうだということ。

まあおじさんたちも嫌な思いやつらい思いを経たり、理由があってこの現状になっているのだろうし直接会ったことのない人を批評するのは好ましくはないが、居たたまれない。

たぶん、嫌だったりもどかしかったり悔しかったりしてそのはけ口がほしくて、ぼくはいまこうして言葉を書いてしまっている。

  

性別で一括りにするのは良くない場合が多いが、脳の構造的な観点で男は95%何歳でもどんな国籍でもどんな立場でもアホだと思っている。ぼくの定義する「アホ」は本当に大事なものを大事に出来ないこと。

自分も男だから悲しいほど理解しているつもりで、これは別にけなしているわけではなくてそういう性質を持っているということ。

熱中したら周りのことが見えなくなる性質とか、意識していること以外の小さな変化とか相手の感情の背景とかに気づけない性質。勘違いを発生させやすい仕組みになっている。あとこれは脳の仕組みかはわからないけど母親になることの多い女性に比べて圧倒的に慈愛とか器の大きさみたいなもので劣っている。

ぼくら個人の持つ性質を含めた人間が持つ性質は、生存のためになるべくしてそうなっているものだから、きっとこれまではこの性質が生存のための最善だったのだと思う。これからはわからないけど。

   

政治家のおじさんたちの中にも若いころは「国民のために」みたいな気持ちの人が大勢いたんだろうけど、結局生物はまず自分の幸福が最優先で、次に周囲の大切な人、そしてその他だから、まず自分の根本的欲求を理解していなければ、魑魅魍魎はびこる政界に飲み込まれて簡単に闇堕ちして保身に走るようになるのかもしれない。実際のところはわからないけど。

日本では割となにも考えずとも生きていくことは可能なほど、安定した社会が構築されていると思う。でも自分の大事に思うことを大事にしたまま生き抜くのは簡単ではない。

望ましくないニュースを見ても一概に批判できないのは、自分もなにかひとつ過去の歯車が異なればあんなおじさんになっていたかもしれないと思わされるから。これからなる可能性も十分にある。

   

ぼくはいっぱい失敗してきたし、いっぱい迷惑もかけてきたし、失礼なことや誰かを傷つけるようなことをしてしまった自覚が記憶の深いところにある。自分の調子が悪いときは、何年も前の失敗を思い出してしんどい気持ちになることもよくある。

でも一度も失敗せず、後悔に押しつぶされることもなく、生きることが嫌になったりせずに生きるよりかは、幾分かましかもしれないと最近思った。

  

この痛みがなければいまも、誰かを傷つけていることにも気づかずに、自分の弱さから目を背けて誰かを虐げることでその恐怖を緩和するようなくだらない人間になっていただろうから。

そしてぼくはこういうことを考えられるのが人間的、人生経験値的な成長のひとつだと捉えている。

仕事や勉強での技術面の成長は基本的に数値で測れたり具体性が低くないからやりやすい。でも人間的成長はちゃんと教えてもらえることはまず無いし、具体性も低いし、人との関わりのなかで気づかせてもらうことが多いから難易度が上がる。

  

難易度は高くても、この人間的成長がないと、大事なものを大事にしたまま死ぬことは厳しい。どんなに仕事で高い技術を持っていて、社会に価値を提供出来ても、オリンピックで金メダルを獲得し続けることが出来ても、それが自分の幸福の定義に関係しなければ、幸福ではないし自分にとって価値の乏しいことになる。まずは自分の幸福になにが影響するのか知る必要がある。

人は幸福(快楽)を求めて不快を避ける性質を持つ生き物だから。

仕事で成果を出すだけならこういうことを考えなくてもいいけど、人生の幸福度を上げることを重要視するなら必須になる。

  

でも人間的成長度だけを重視していても有意義な人生になるかと問うとそうではなくて、有名なセリフで「力なき正義はただの戯言」みたいなのがあるけど、その通りで、複数の観点から力をつけ続けないと自分の信念を貫くことは厳しくなる。

最近は武力・知力・財力・対人関係能力・人間力・危機管理能力・幸運値で力のパラメーターをつくっていて、どこにステータスを振るためにどんな経験値を得るのかを意識するようにしている。昔から孫子の兵法とかゲーム理論書が好きで読んでたし、ゲームもよくやるからこういう考え方がしっくりきている。

ちゃんと自分の体調管理や仕事の行動なんかをデータ化して蓄積するようになったのは去年からだけど、以前に比べてものすごく経験値が増えた。それまで余裕がなさすぎて出来ていなかったけど、ちゃんと記録をとって、どうしてそうなったのか、理想はどんなものなのか、どうしたらそうなるのかを分析推測するのは極めて重要度が高いことだと今更知った。

みんな無意識にやってはいることだけど、そのデータの蓄積と分析推測のサイクルの効率性と合理性を高めることは成長の速度と幅へ多大な影響をもたらしてくれる。

よくよく考えれば至極当たり前なことなのだけど、ぼくはこの世に生を受けて二十年以上経ってようやく気が付いた。きっとこの先もこうやって、自分の情けなさを更新し続けていくことしか出来ないのだと思う。