平衡フェチ

今回はフェチの話とやりたいことの話。

よく、「やりたいことがあっていいね」と言われます。

ちょっとしたお店も作ったし、住みたいところに住んでいるし、学びたいことを学んでいるので、確かにやりたいことはやっている気もします。

でもあまり、「これをやりたいんだ!」みたいなものはいまはなくって。

現在は数年前に比べて「好きなことをしよう!」な風潮が強まってきていて、それは良い時代の変化だと思っています。でもその流れに苦しんでしまうこともあるはずで。
 

ぼくは別にずっと本を読んでいたいわけでもないし、いまは情熱を一心に注げるなにかをもっているわけでもない。毎日温泉には入っていたいけど。

ただずっと”自分はこう在りたい”という目指している自分像のようなものがあります。小学生くらいから。

ぼく、あのRPGとかではじまりの町から少し経過したあたりで、駆け出しの冒険者とかが寄る廃れた武器屋のおじさんのポジションが好きなんです。

そして実はそのおじさんは裏では凄腕の情報屋だったり暗殺者だったりするんです。この絶妙に中二チックなかんじがたまりません。

そして存在がフラットだと思うんです。

表の酒場では日々若い冒険者と関わり、裏ではたぶん国の重鎮とも関わっているのでしょう(知りませんが)。自分と関わる人の流れが絶えずよどまずにある環境。そしてその幅も広い。その環境は自分の感性の偏りを平らにしてくれるはずです

どんな人に対してもフラットに接することができて、考え方にも偏見などが減って自然体でいることが可能になります。

ぼくはフラットな存在でいたいんです。
色んなことを知って感じて、色んな世界を見て、色んな経験を通して自分という存在を平衡に保ちたいんです。

これはもうフェティシズムの領域なのです。平衡フェチとでも言いましょうか。
 

例えば学校のクラスってだいたいグループが出来上がっているじゃないですか。イケてる運動部とオタクな文化部で分かれてたり。

それで、だいたいどこかに属して仲良く行動している。でもぼくはどこにも属したいし、属したくないんです。色んなグループを行き来したい。「今の休み時間はこっちのグループで話したいし、次の休み時間はあっちのグループ!」みたいに、色んなところを行き来したいんです。

小学生のときからずっとそんなポジションを生きてきました。中学生のときは保健委員とか、図書委員とかいう委員会あるじゃないですか。あれは確か半年で任期が来て交代するんですが、三年間でほぼ全委員会コンプリートしました。

一つの場所から得る経験だけじゃ偏りがでてしまうので嫌なんです。可能な範囲で複数の経験をして自分のなかに平衡を作り出したいという譲れないフェティシズムです。まあデメリットもあるし、八方美人になったり、無慈悲に「二人組つくってー」と言われたらあぶれてしまいそうになったりもしますが。

でもこのバランスがとれないと、すごく不快。

引きこもることもしたいし、世界中を旅したい。就職もしたいし、個人でも働きたい。忙しい時間も欲しいし、暇な時間も欲しい。積極性も持っていたいし消極性も持っていたい。

自分の中で色んなもののバランスが取れているときが気持ちいいし、イキイキしていることに気が付きました。
 

だからなんとなく、やりたいことというかやる必要のあることがあります。

「この経験を通してこれを得たい、知りたい、その先に自分が見る世界やつくるものが知りたい、楽しそう。だからこれは必要。」という感じでやることは選んでいるみたいです。それで自分の中のバランスを保つ。

ゆくゆくは、なにかちゃんとしたお店を構えつつ、フリーでブックセレクトとか空間デザインとかのお仕事をいただけたらいいのかなと思っています。その前に就職とか放浪とかして自分の幅も広げたい。

あまり世間一般で言うような好きなことも情熱を持てることも、いまは思いつきません。でも”こんな自分がいい”というのは強くあります。

モテたいですし、自分である程度満足できるカッコいい状態でいたいです。ぼくはフラットな状態でいることがカッコいいことだと思っています。

自分が納得する在り方をしている自分でいることがぼくのやりたいことでした。
 

だから、それほどやりたいこともないし、好きなこともないっていう人は”自分の思うカッコいい自分でいること”がやりたいことだって考えたら少しは気が楽になるんじゃないかなって。

好きなことをして生きようという風潮が強まると、好きなことがないといけないと思ってしまう人もいて、ぼくも一時期そう思っていることがありました。

好きなことなんて人によって全然違うし、テンプレートな形にできる好きなこともあれば、言葉にしようのない好きなこともある。仕事にしない方がいい好きなこともあります。

わかりやすくて魅力的なものに人は惹かれてしまうものだけど、自分なりの楽しさを見つけていく方がきっと長い目で見たら楽しいのかなって。必死にもがいた十代を通して得た学びです。