
言葉に触れている時間が長くなればなるほど、言葉では不十分なことに気が付いてしまう瞬間がよく訪れるのだと思う。
自分の考えや見たもの聞いたものを言葉にする。言葉にすればするほど、言葉が先を走っていってしまう。
言葉にするまでそこには存在しなかったものが言葉にしてしまったことによって存在を持つ。
ときどき、その事実に恐くなる。
そして、気を付けなければと心も身体も引き締めてみたりする。
自分は別にいちごが好きじゃないのに、「わたしはいちごが好き」と100万回くらい言ってみると、たぶんその頃にはいちごが好きになっている。
それはもともと嫌いでも好きでもなかったのに、ひたすら自分はいちごが好きだという言葉を存在させてしまったから、もう「わたし」に言葉が勝ってしまったのだ。

最近、面白い仮説を知った。
“言葉が生まれたから心が生まれた”
という説。
言葉が生まれる前には心がなかった、心という言葉も使命とか頑張らなければ、なんて言葉もなかった(ここでの心は自己意識のようなもの)。
きっとその頃の人間にも、喜怒哀楽の”感情”はあったはず。
けれど、”心”といういまぼくたちが日常生活において用いている高度な思考はやっぱりなかったんじゃないかと思う。
頭(=心)で考えるときには必ず言葉を使う。
だから、その言葉がない時代には心という複雑かつ繊細な代物はそこにあるのにそこにないようなものだったのかもしれない。

言葉とお金は、人間が作り出した道具のなかで最大級に影響力のあるものだから、ときに自分たちが使われてしまう状態になる。ときにというよりは、頻繁に。
ぼくも頭で考えすぎてしまった時期があって、言葉にしすぎてしまって言葉にするまえの大切ななにかを見失った。
たとえば、本当はあのときのくもり空が自分は好きだったのに「きれいじゃないけど落ち着く良い天気だね」って言いたかったのに「くもりって、もさっとしていてつまらないよね」と言われてしまったりして。それにまあいいかと「そうだね」なんて相槌をうつ。
たぶんはじまりはそんな些細な「まあいいか」からはじまっている。
良いわけがないのに、自分は違うことを思っているのに言葉の上ではあいまいに肯定をしてしまう。それを繰り返していくうちに言葉と「わたし」のズレが広がり続けて、気が付いたときには「わたし」は見失っていて言葉だけが残る。

社会でも「好きなことを仕事に」「就職したらとりあえず三年」「フリーランスは楽じゃない」とか。
力を持っている人の力のある言葉が必ずと言っていいほど耳に入ってくる。
その言葉はときに人を助けるし、社会を素敵な方へ導く。
反面、いたるところに散らばっている言葉のノイズに本当の自分をかき消されてしまう。
実のところ、社会に出るまでにかき消されてしまうことがほどんどなのだと思う。振り返ると、自分が受けてきた学校教育で豊かな自我の形成なんてできるわけがなかった。
上で挙げたような抽象的な言葉はもっと解像度を上げたり、どういう背景でその言葉を使っているのかを知らないと変に悩んでしまう。
そうすべきなのかな、って無意識のうちに外側から聞こえてくるノイズを優先してしまう。常識に背くべきとも思わないけれど、自分の本音には正直にいたい。
「やりたいことがわからない」のは自分が悪いんじゃないから。
身を置いてきた環境の中でそういう結果になっているだけだから。

いま自分が本屋という言葉にまつわる仕事をしていて、言葉にできないことや言葉にしたくないことも、言葉にすることと同じかそれ以上に大切に扱いたいと思うようになった。
頭(心)だけで考えるのでは足りなくて身体(勘)でも考えるというか。
言語化できないけど「なんか嫌」ってやつ。
あの人はなんか嫌、あの場所はなんか嫌、いまこの仕事を受けるのはなんか違う。この気持ちはいまは言葉にしないで自分の中においておきたい、とか。
あとは運と不運の波だったり、理屈では説明できないほどなにかに守られているようなツキの良さ、とか。
そういう感覚。
現代は頭(心)で考える時代だから、うまく言葉にしてさも理にかなっていることがすごいことのように感じてしまう。

でも言葉なんて人間の作った道具に落とし込める程度のこと、たいしてすごくないのだと思う。
だって、「なんかいや」は結果的に当たるから。第一印象も当たる。頭だけで考えて身体が受け付けないことをすると体調を崩す。
言葉はたぶん人間が作ったものだけど、人間(身体っていう器)を作ったのは生存環境かもしくは世間では「神」といわれているなにか。
ぼくは人間をそれほど過大評価していないので、やっぱり身体(直感とか)も信じる方向でいってみたい。それでも、なにかを理解しようとここまで言葉を発展させてきた人類を尊敬する。
なにを言葉にして、なにを言葉にしないのか。
あの人の言葉の背景にはどんなものがあるのか。
ゆっくりじっくり見つめていきたい。

2019.11.3 トドブックス代表 村松徳馬